名古屋高等裁判所 昭和43年(う)521号 判決 1969年5月22日
本籍
岐阜県瑞浪市土岐町六番地の二
住居
名古屋市中区南辰巳町七九番地
会社役員
加藤忠之
明治四〇年五月九日生
右被告人に対する昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法違反被告事件につき、昭和四三年七月二〇日名古屋地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官船越信勝出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人野村均一、同大和田安春、同永田水甫共同名義の控訴趣意書に記載するとおりであるから、ここに、これを引用する。
一、控訴趣意第一点、事実誤認の主張について。
所論は、要するに、原判決は、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法違反の事実を認定し、被告人の昭和三八年及び同三九年両年度の各総所得の利息収入によるものを雑所得として捉えたが、これは事実誤認であつて、これら利息収入は、金融業としての事業所得である。要するに、被告人の昭和三八年度及び昭和三九年度の本件各所得は、中部観光株式会社に対する貸付とこれに基づく利息収入によるものであつて、右金員貸付行為は、あらゆる点からみて金融業にほかならず、右貸付金に基づく利息は、すなわち、金融業としての所得にほかならない。これを更に具体的にいえば、昭和三九年度の被告人の本件貸付は、残高五、七三三万六〇八円の多額に達し、口数一二口、一口当り平均四八〇万円、利率も高率であつて、その利子所得も昭和三八年度は一、七四三万二、九四二円、昭和三九年度は八一七万七、四〇二円に達すること、被告人のその余の所得に比し、これが占める割合は比較にならない程多額であること等これらの事実に徴すると、被告人の中部観光株式会社に対する貸付は金融業の実体を有し、正に国税庁長官基本通達九三項にいう金融業の条件をことごとく充足させるものであること明らかである。従つて、右の如き貸付融資による本件利息収入は、金融業としての事業所得と認むべきであるに拘らず、これを雑所得と認定した原判決は、事実を誤認したものというべく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
よつて、本件記録を調査し、各証拠の内容を仔細に検討すると、原判決挙示の証拠により原判示事実は優にこれを認定できるのであつて、原判決には所論の如き事実誤認はない。
所論は、昭和三八年度及び昭和三九年度における本件利息収入は、いずれも被告人の金融業としての所得と認むべきであり、従つて、事業所得である旨主張するが、証拠に徴すると、原判決も判示するように、本件各年度の利息は、被告人の中部観光株式会社に対する貸付に基づくものであるところ、右金員貸付の経緯をみるに、被告人は、昭和三三年頃、かねて親交のあつた同会社常務取締役奥山宗雄からの懇謂により、たまたま、その頃手許にあつた不動産売却代金を中部観光株式会社を助けるため好意的に融資したことにはじまり、爾後元金の完済も受けられないまま貸付元金高が漸増して行つたもので、当初は、受取利息につき単に礼金として受領する程度の気持であつたこと、中部観光株式会社への金員の貸付、利息の授受は、一切被告人の氏名を表面に出さず、終始架空名義を用いて処理されて来たこと、被告人が利息を得て貸したのは、右会社のみであり、その他には全くないこと、貸付の形態についても、被告人側には貸付金はもとより、受取利息金についても帳簿等一切の書類の整備がなされていないこと、被告人はもとより、被告人に代つて事実上その衝に当つていた実弟の加藤孝之も何らこれに関する資料を持ち合わせていないこと、その後中部観光株式会社の経営状態が悪化した後も、なお、右会社の要望を容れ、金利を下げ、無担保で貸付を繰り返えしていたこと、貸金中には若干銀行からの借り入金を貸与した事実もあるが、これも自己の預金を引当に借り入れたものであること、被告人自身貸金業者の届出もしていないこと、以上の事実が認められる。
ところで、金員の貸付によつて生ずる所得が、所得税法上の事業所得としての金融業に該当するか否かの判定には、税制、特に所得税法の精神に則り、そこにいわゆる事業所得性ないし事業性を理解することを要すると共に、事業としての金融業の概念につき一般に行われているところを念頭において、社会通念に照らし、これをできる限り客観的に把握する必要がある。
そのためには、右の観点から、貸付の動機、目的、貸付の相手方との関係、貸付相手方の数、貸借頻度、貸付金額、担保権設定の有無、貸付資本の性質及びその調達方法、利率、これによる利得が総所得に占める割合、貸付のための人的、物的設備の業態、規模等の諸点より、できる限り多面的に総合し、実態に即してこれを把握し判定することを要するものといわねばならない。そして、これらの諸点の総合的見地より、これを見れば、本件金員の貸付は、すでに見たとおりの諸事実に徴し、営業としての主体的な計画性や組織性、企業的継続性或は独立性は全くないといわざるを得ず、社会通念上到底事業としての金融業を営むものとは認めがたい。所論は、貸付金額、貸付口数、利率等国税庁長官基本通達のあげる三、四の点のみをもつて金融業の条件とする前提に立つが、その前提自体失当といわざるを得ない。
なお、所論は、本件貸付による利息収入が国税庁長官基本通達九三項の金融業の条件に該当することをしきりに強調するが、通達本来の趣旨にてらしても、それが税法の解釈の統一をはかると共に、徴税事務執行の適正と円滑化をはかるため、一面、いわば内部的処理基準としての機能をももつ意味において、下部機関に対し、税法実務の解釈上の一指針とはなり得ても、右通達をもつて、事業所得にいわゆる事業としての金融業を構成要件的に定義づけるものとは到底解し得ない。このことは、右基本通達九三項(昭和二六年一月一日付)自体の内容に徴しても明らかなところである。すなわち、その前段において「金融業に該当するかどうかは、その口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金員の貸付による所得の占める割合、その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきである」とし、そこに一般的指針として勘案すべき諸点を例示し、次いで、その後段(一)において金融業に該当しない場合を、(二)において該当する場合を、それぞれ一応の判断資料として例示したものにすぎない。従つて、もとより金融業の条件は、これにつきるものと解すべきものではなく、いわんや他の諸点を一切考慮しなくてもよいとする趣旨でないことは、もちろんである。
所論は、要するに、右基本通達につき、独自の見解に立つて、原判決を非難するものであつて、到底左袒し得ない。論旨は、すべて理由がない。
二、控訴趣意第二点、量刑不当の主張について。
所論は、要するに、原判決の量刑は重きに失し不当である、というのである。
よつて、本件記録を更に調査し、検討するに、証拠により認められる本件犯行の動機、態様、犯行後の情況及び被告人の生活環境、経歴、経済条件等諸般の情状、殊に、本件は、両年度の逋脱税額合計一、三六二万余円に達すること等を考慮すると、犯情は軽いとはいえないのであるから、原判決の量刑(懲役一〇月及び罰金六〇〇万円、但し三年間懲役刑の執行猶予)は、相当というほかはない。所論にかんがみ、中部観光株式会社の倒産により貸付元本の七割まで回収不能の虞れがあること、その後更正決定に従い、脱税金額は完納したこと、その他被告人の利益の情状と認め得るものを斟酌しても、右量刑は必ずしも重すぎるとは認められない。論旨は理由がない。
よつて、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小淵連 裁判官 村上悦雄 裁判官 西村哲夫)
昭和四三年(う)第五二一号
控訴趣意書
被告人 加藤忠之
右の者に対する昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法違反被告事件につき控訴の趣意を後記のとおり陳述する。
昭和四三年一〇月四日
右弁護人 野村均一
同 大和田安春
同 永田水甫
名古屋高等裁判所
刑事第二部 御中
第一点 原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認がある。
一、原判決は被告人に対する昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法違反にかかる本件公訴事実全部を有罪と認定し、結局被告人に於て雑所得となるべき昭和三八年度の実際の総所得金額二二、九〇〇、九二三円昭和三九年度の実際の総所得金額一三、三三〇、〇四一円であるのに、これを何れも過少申告をなして、その結果、昭和三八年度は所得税額金九、四三九、二九〇円、昭和三九年度は所得税額金四、一八四、〇四〇円を何れも免れたものであるとしているのである。然るところ、右事実認定は判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認があると云わなければならない。
二、ところで被告人、弁護人は原審公判頭初以来本件係争所得金額は何れも事業所得であつて、雑所得でなき旨主張してきたのであるが、原判決の認定は、次の通り説示している、即ち、弁護人の主張に対する判断として、
「ここに事業所得という金融業とは計画的に、ある期間継続して利益を得る目的をもつて他人に金員を貸与し、それに対する利息その他の収入を得ることをある程度組織的に反覆継続する行為の総体であり、その判断は結局のところ、貸付相手先の数その者との関係、貸付の動機、目的、貸付頻度、貸付金額、利率、受取利息の額、それがその者の総所得に占める割合、貸付資本の性質、そのための人的、物的設備等の形態、その他諸般の事情を基礎として所得税法の精神により社会通念上、客観的に右の如き行為形態と一般に認めうるか否かによつてなすべきものといわなければならない」
として、事業所得にいう金融業の観方、考え方を説示し、かかる観点より、本件被告人の金利所得を認定しているといわなければならない。
三、而して、事業所得にいう金融業(法第九条第一項第四号)とは如何なるものを指称するかについては、国税庁長官の基本通達第九三項に明示されているのであつて、右通達によれば、
「金融業に該当するかどうかは、その口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち、金銭の貸付による所得の金額の占める割合、その他諸般の状況を勘案のうえ、これを判定すべきであるが、次のような場合においては、次によるものとする。
(一) 親せき、友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は、金融業に該当しないものとする。但し、その金額が多額(おおむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない。
(二) 転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」
と明確に説示してあるに拘らず、原判決は右基本通達に対して次のとおり判示している。
即ち
「右通達は国税庁が法律の解釈をできるだけ統一し、もつて所得税の賦課徴収という行政事務の円滑をはかると共に、その取扱いの不均衡を是正するため発せられたものであつて右通達は絶対的なものではなく、又その解釈も法律の精神に合致するようになされなければならないことは明らかであるし、右通達が金融業の定義づけをなし、いわばその構成要件とでもいうべきものを規定したものとは到底考えられず、前記のとおり一般に概念の定まる金融業に該るかどうかの一応の判断資料を例示したものに過ぎないのであつて、たとえ文理的に右通達を充足したとしても、それのみにより直ちに当該貸付が金融業としてのものであると判断することはできないものといわなければならない」
として、結局右基本通達は一応の判断資料を例示したに過ぎないとしているのである。
四、ところで、国税庁長官の基本通達を原判決認定の如く考えて果して適切であろうか、大いに疑念を抱くものである。
いわゆる租税通達なるものの意義をどのように理解すべきかの問題である。
租税法においては、租税法律主義の原則に従い、課税要件等はすべて法律によつて定められていなければならない。
然るところ、租税法全般に各般の要件を詳細に法定することは至難のことであり、さもなくても租税法の条文は複雑多岐に亘るため、これ等の法律の具体的適用に当つては、解釈上の疑義を生ずることが少くないのである。
従つて、現実にその適用に当る第一線の税務署又は税関等に於て、その取扱解釈が区々に岐れ、租税の公平負担の原則に反する結果を生ずるおそれがないではない有様である。
そこで、各租税法について、国税庁等において基本通達とか、個別通達を発し、これによつて法律の解釈を示して取扱基準を明らかにして、第一線における取扱いの統一を図ることにしているのであつて、これ等通達が租税行政の運用に当つて実際上に果している役割は極めて大きく、これを無視することはできず、税務職員をして拘束する力を持つているのである(岡本幹男証言、五条金之助証言、塩原利武証言)
五、国税庁長官の基本通達の意義を以上の如く考えるとき、原判決のこれに対する前記説示は甚だ失当といわなければならない。
なる程、右の如き基本通達であつても、原判決がいう如く、法律の精神に合致したものでなければならないこと当然ではあるが、それかといつて、原判決の如く、一応の判断資料を例示したものであるとの見解は、前記基本通達の存在価値を全く無視した無暴なる見解といわなければならない。
前述の通り、租税法に関する通達は租税公平負担の原則を実現確保するために存在価値を有するものであつて、税務職員を拘束するは勿論広く国民一般にも公表されていて、租税法律主義の原則を国民衆知の認識まで努めているものであつて、右通達なるものが法律違反の理由あるならとも角、何等首肯出来る理由を述べることなく、単に一応の判断資料を例示したに過ぎないとの前述の原判決の見解は許されないところである。
原判決の如く基本通達を解した場合前記基本通達第九三項は、金融業に関する一応の判断資料を例示したに過ぎないこととなるものであつて、その結果は、租税法解釈運用上の疑義を生じ、現実の取扱上は租税の公平負担の要請は全く期待出来ない結果を生ずるに至ること火を見るより明らかであり、基本通達そのものの存在価値を失わしめるものであつて到底許されないところである。
六、国税庁長官基本通達第三項は現存し且つ、右基本通達の意義を前述のとおり考えるとき、事業所得にいう金融業の観念は極めて明白となるものであつて、右基本通達そのものを素直に直視するときは、原判決説示の如き「一応の判断資料を例示した」ものではない。
即ち、基本通達第九三項本文の「口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合」に本件被告人の金利所得の右各要件を照合しても、何れも右通達そのものに該当するものであり、更には右本文(一)の但し書に、其の儘該当することも明らかである。
本件被告人の利子所得の各種要件を検討しても、右基本通達に直ちに符合するものであるところ、原判決は右基本通達の要件該当を否定する事由として「被告人には営業としての主体的な計画性や組織性は全くなく………社会通念上、被告人が金融業を営み、その事業として中部観光株式会社に金員を貸与していたものとすることはできない」として、結局のところ、社会通念上金融業とすることはできないとしているものである。
既に述べた如く、租税法の解釈統一をはかり、租税公平負担の原則のために基本通達なるものが存し、且つ税務職員としては右通達に拘束されるとの現状であるに拘らず、右通達を無視し、これに加うるに何等一般人を首肯出来る理由を付せず、唯社会通念上、金融業と認められないとする原判決の事実誤認も甚しいものである。
七、以上要するに、前述のとおり事業所得についての金融業の認定につき、国税庁長官基本通達第九三項の存在意義及び之が通達内容より本件所為を見れば、被告人の昭和三九年度貸付残高は五七、三三〇、六〇八円の多額であり、口数一二口、一口当り平均四八〇万円の高額であり、利率も高率であつて、その利子所得も昭和三八年度金一七、四三二、九四二円、昭和三九年度金八、一七七、四二〇円との高額になるものであつて、被告人の其の余の所得に比し、これが占める割合は比較にならぬ程多額に及ぶものであつて、かゝる事実と前記基本通達とを比較検討するときは直ちに事業所得と認定さるべきものである。
然るところ、原判決は前述のとおり国税庁長官の基本通達第九三項を単に一応の判断の資料を例示したに過ぎないと右通達の趣旨を曲解し、敢て右通達の意味に合致する本件被告人の所得を雑所得と認定しているのであつて、比の点につき重大なる事実誤認があると云わなければならず右事実誤認は判決に影響を及ぼすことも明らかである。
八、ここで雑所得なりや、事業所得なりやの認定につき、被告人は次の如き実質上の重大なる利害関係を有するものであることを附言する。
即ち、改正前の旧所得税法第一〇条の六の適用上、両者に差異を生ずるのである。
雑所得については、法第一〇条の六の第一項が、事業所得については法第一〇条の六の第三項が適用される結果、雑所得については所得の計算の基礎となる収入金額、即ち利子収入が回収不能となつた場合に、右回収不能利子分についてのみ法第二七条の二により所定期間内に限り更正の請求が出来るのに対し、事業所得については法第一〇条の六第三項が適用される結果、回収不能の元本債権部分までが差引控除される結果となるものであつて、其の何れに認定されるかは、当事者として重大なる利害を有するものである。これを本件の場合に見るに、既に弁論要旨で主張したとおり、被告人の貸付元本は、中部観光株式会社の倒産により貸付金の七割が棚上げ、免除、回収不能と確定したものであつて、此の際前述の所得税法第一〇条の六第三項が適用されなければならないのであつて、此の趣旨にて被告人は本件所為に対し、国税庁のなした更正決定に対し直ちに更正の請求をなしている有様である。
以上の事由により、原判決は重大なる事実誤認があるので、右は判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、之が違法は是正さるべきである。
第二点、原判決は刑の量定不当である。原判決は、被告人に対する本件公訴事実事実全部を有罪と認定の上、被告人を懲役一〇月、執行猶予三年、罰金六〇〇万円に処しているのであるが、右刑の量定は本件事実関係の経緯、動機犯情、其の他諸般の情状並に犯行後の情況を綜合するときは、著しく重きに失し、不当と云わなければならない。即ち
一、被告人の本件行為は頭初より計画的になされたものではない。
被告人が中部観光株式会社に金員を貸与するに至つたのは、原判決認定の如く、被告人が中部観光株式会社を助けるために、好意的に融資したのが発端であつて、当初は単なる時貸し程度のものから、次第に多額化して行つたまでのことであつて、其の間計画的な挙動に出たことは全くなかつたものであつて、其の間何等計画的行動には出ていないものである。
二、被告人は主動的地位にはなかつた、此の点も原判決が認定している如く中部観光株式会社との衝に当つていたのは被告人の実弟加藤孝之であつて、右孝之よりの時折りの報告により、貸付元本及び取得利子を知るに至つたに過ぎないものであつて、実弟孝之の指示のままに利子所得を得ていたに過ぎないものであつて、金融金利取得につき何等主動的地位にあつたということはできない。
三、貸付元本の七割までが回収不能に終つていること、
此の点も弁護人より原審に提出した証拠によつて明らかなとおり、貸付先中部観光株式会社は、昭和三九年七月倒産し、その後会社更生法の適用を受けた結果、債権元本の七割全部棚上げ免除と決定しているのであつて、被告人の貸付元本は僅か三割しか返済されるに過ぎないばかりか右三割も昭和四二年末より五年間に年賦返済との債権者にとつては、極めて不利な条件となつたものであつて、此の点からすれば、被告人の回収不能債権額は極めて多額となるものであつて、仮りに有罪認定としても、かゝる損失の発生は、刑の量定上、充分斟酌さるべき事由である。
四、脱税金額は、全部納付ずみであること。
被告人は本件脱税事案につき、国税庁より、早速に更正決定を受け
昭和三八年度 金一二、二七二、九四〇円
昭和三九年度 金 五、四三九、二四〇円
更正利子税 金 二、五七〇、〇六〇円
昭和三八、九年度更正市県民税
金 三、七七〇、七五〇円
計 金二四、〇五二、九九〇円
を納付しているのであつて、税法上の不正秘匿利得は、法律上最大の義務を履行し、且つこれが制裁を受けているのであつて、脱税による被告人の不正利得は全部剥奪されてしまつたものであつて、脱税犯としての刑罰を受けなければならないとしても、右の事実は刑の量刑上当然に斟酌されなければならない。
以上各般の情状等を検討するに、原判決の刑の量定は著しく重きに失するものであるので、破棄の上、適切な刑の量定を求める次第である。